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日々のこと、つれづれなるまま記
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出雲弁
073.jpg「ゆうひ」と言えるようになった長男くんに 日本海に沈む夕日を見せたくて車を走らせていたときのこと。
なんとなくつけていたFMから 懐かしい声が聞こえてきた

絶妙なタイミングで繰り出される、こってこての
出雲弁、愛すべき舌足らずな口調
安来のおじ… だっ!

こちらも流暢な出雲弁、‘おがっち’との掛け合いは本当に素晴らしく完全に引き込まれる。
運転中に何度も「だはっっ」と吹き出してしまい、対向車の方に迷惑をかけてしまっていたのは この私です



島根県は東西に長い県のため、東(出雲地方)と西(石見地方)では言葉が全く違います

私の出身地、島根県西部の石見地方は広島や山口と方言と似ており 全体的にゆっくりと話をし、語尾に「~けぇ」とつけるのが特徴ですが、東部の出雲地方はペースも速く、例えようのない(失礼...)独特のイントネーションがあります

地元の中学を卒業した後、出雲地方の高校に進学したのですが、最初に立ちはだかったのは「ことばの壁」でした。

高校の入学式を控えた 15歳の春休み。   
バレーボールのための進学だった私は 入学前の春休みに 慣らしのためにバレー部の春合宿に参加したのでありました。   

練習中は短い言葉でのコミュニケーションだったため それほどでもなかったのですが、
合宿所に帰ってからの監督・先輩方の言葉が まったくわからない! 本気でわからない!!
英語と日本語くらいの違いのように感じ、聞き取ろうとしても全く聞き取れず、完全にあっけにとられ 気後れしている私に優しい先輩が「ゆっくり通訳」してくださっていました

高校の練習のレベルの違いと、島根の東西の言葉の壁を痛切に感じた15歳の春でした。
これから共存して行かなくてはいけない「出雲弁」と「バレー漬けの日々」の恐怖にさっそく逃げ出してしまいそうだったことを思い出します

しかしながら環境というのは恐ろしいもので 学校と寮生活で培われた出雲弁は、半年もするとぺらりとしゃべれるようになり、年に一度 実家に帰れるときには 周りの人たちがギョッとするほど出雲弁しかしゃべられない私へと成長してしまっていました
隠そうとしても隠しきれないのが出雲弁。     
出雲弁には熱い想いが込もっている。

「ゲゲゲの女房」は見たことがないけれど、「安来のおじ」の口から繰り出される出雲弁とは違うはずだ。(当然だ)
久しぶりに聞いた 安来のおじ&おがっちの出雲弁の掛け合いは私の笑いのツボをユルく(けどキュキュっと)つついてくれたと同時に 20数年前の衝撃的な記憶を蘇らせてくれました。   

本当に懐かしい出雲弁。    高校時代の情景や葛藤や苦痛をも思い出す。
そんな出雲弁を 安来のおじとおがっちが やわらかく流暢に会話し 包んでくれました

その後もいろんな土地に住んだため、ある意味バイリンガルな私ですが 出雲弁に初めて出会ったときの衝撃と不安は今も強烈に私の中に残っています

愛すべき、そして私の背筋をピンッとさせてくれる出雲弁
がんばってた頃のわたしが しゃべっていた言葉です


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